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『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』

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日本には、雇用(労働)、社会保険、公的扶助という三段階のセーフティネットが存在する。真面目に働いていれば、正規雇用である限り一定の給与は保証されるし、仮に失業すれば失業給付を受けることができ、その間に職を探すことができる。それでも職が見つからず、財産も底をついてしまったという場合には、最後の手段として生活保護制度によって最低限の保証を受けることができる。しかしながら、この三層のネットが機能する対象は、全国民ではない。現在の労働者の34%総務省調査)を占める非正規労働者の場合、より高い失業リスク、非正規であるがゆえの無保険、さらには生活保護受給申請の困難さという三層それぞれの穴に続けて落ち込んでしまう。つまり、非正規であるがゆえに最初の穴から落ちてしまえば、あとの二層は素通りである。このような社会を著者は「すべり台社会」と呼ぶ。
 
では、非正規雇用にしかつけない人間が悪いのだろうか。センの「貧困はたんに所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態とみられなければならない」(『自由と経済開発』)という主張を引用しながら、著者は、この「潜在能力の欠如」という概念に対応するものとして「溜め」という概念を紹介する。「溜め」とは、お金や人間関係などの様々なものに対して我々が備えている蓄えのことであり、例えば貯金などは分かりやすい金銭的な「溜め」であり、困ったときに助けてくれる友人や知人、親の存在も人間関係の「溜め」であると解釈できる。そして、「貧困とは、このようなもろもろの溜めが総合的に失われ、奪われている状態である」(P80)と定義でき、著者は、彼らは何の努力もしていないという「自己責任論」に対して、「自己責任論とは「他の選択肢を等しく選べたはず」という前提で成り立つ」ものであると反対する。
 
著者の自己責任論への反論が少し不十分な気がするので少し補足させて頂く。
そもそも、人間は平等ではない。個々の能力や容姿に始まり、家柄や親族の地位などの人間関係、さらには社会環境まで含めれば、平等などとは絶対にいえない。したがって、このような「溜め」の有無も、一見すればその不平等の一環であると捉えることができるように思える。しかしながら、親族からの援助もなく、高校を卒業して大学にもいけず、低賃金・重労働の中で職を転々とする生活をしている人が「溜め」を作ろうとしても、ラットレースをひたすら走り続けるに終始してしまうのである。そのような人が「溜め」を作るには、それこそ人に好かれる才能であるとか、勉学に秀でた(努力のできる)才能であるとか、生来の「溜め」の欠如を補うだけの人一倍優れた性質を本人自身が持っていない限り難しい。では、そのような優れた才能を持っている人間が貧困層にどれだけいるのだろうか。そして、そのような才能の欠如と「溜め」の欠如が相まっている人に対して、自己責任という言葉だけで片付けてしまってよいのだろうか。
 
繰り返すが、人間は平等ではない。これまでの議論からかなり大まかに大別すれば、才能と「溜め」の両方を欠いている者、どちらか一つを有している者、双方を有している者の4種類に分けることができる。つまり、才能と「溜め」の両方を有していなくとも、どちらか一方でも有していれば大抵は生きていくことができるのである(むしろ、どちらか一方を有していたにも関わらず貧困に落ちるような人こそ自己責任といえるかもしれない)。しかしながら、双方を欠いている人間についてはどうか。現在の日本における真の問題は、この双方を欠いている人間が底辺から這い上がることができないという「貧困から抜け出す機会の欠如」にあるといえるだろう。「溜め」と才能を欠いた人間(こういえば聞こえは悪いが、すなわち一般的な能力を有する人間のことである)が、ゼロからでも「溜め」を作り出していけるような、つまりは貧困から脱出できるような社会を作ることが国家の役割なのではないのだろうか。
 
そのためにはやはり最低賃金の引き上げが必要なのか・・・まだ知識が足りないので、これについては日を改めて考察したい。
 
先進国の中では珍しく、日本には貧困指標が存在しない。そのため、日本における「公的貧困ライン」というのは、生活保護受給者が毎月受け取る金額であると解釈するしかない。実際に、地方税を初めとした減免制度やその他の様々な低所得者向けのサービスは、生活保護基準に連動した制度となっている。この基準を前提に置けば、生活保護基準を下回る消費水準の人々がいる事実を理由に、生活保護水準を切り下げるという政策がいかに本末転倒かわかるだろう。子どもの養育費を捻出するために消費を限界まで切り詰めている世帯の実情などは考慮せず、数字上の比較のみを根拠に生活保護基準を切り下げる。そして、生活保護水準を切り下げれば、収入が増えたわけでもないのに就学援助等の低所得者向けサービスを受けられなくなった人々の負担は増加し、彼らの消費水準はさらに低下する。低下した消費水準に比較され、さらに生活保護基準が下がる。まさに「底辺に向かう競争」(P191)である。必要なのは相対的ではない絶対的な貧困基準だ。低所得者の人々の生活実情を考慮せず、形式的な数字のみで相対的に国民生活を測る行為は、憲法25条を遵守しているとはいえない。
 
本書では生活保護の受給の難しさ、いわゆる「水際作戦」についても詳しい事例とともに紹介されていた。また、自分の地域の生活保護費を計算できる生活保護費自動計算が著者の活動する「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」で配布されている。自分の給与と比較する参考にしてもらいたい。
 
~メモ~
失業者300万人に対して移民を受け入れる意味
最低賃金引き上げの効果

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2010-02-14(Sun) 12:21| 評論| トラックバック 0| コメント 0

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